「みまかる」の語源や意味を解説!ルーツは平安時代!例文、言い換え表現も紹介

「みまかる」という、やや古めかしい言葉があります。聞き慣れない人も多いかもしれませんが、「みまかる」は人の生死に関わる厳かな日本語です。

普段使わない言葉であるからこそ、「みまかる」の誤用や誤読は禁物。特に人の生死というデリケートな内容を含む点には要注意でしょう。

あまり浸透していない言葉であることを念頭に置きつつ、「みまかる」の基本的な意味や使い方を解説し、より丁寧な言い回しや類語なども紹介します。有効にご活用ください。

この記事の内容

「みまかる」の意味と語源を紹介

「みまかる」は昔からある言葉で、古語にルーツがあるともいわれています。

語源を辿り、意味についても調べてみましょう。

「みまかる」の意味とは?

「みまかる」とは死去するという意味。「死ぬ」「死去」のように、直接「死」を表現する語句よりも婉曲的な表現です。

「みまかる」という言い回しを選ぶ時は、相手を慮ってのものである場合が多いといえるでしょう。

「みまかる」の語源は?

「みまかる」は元々、古語「身罷る」に由来するもの。その歴史は古く、何と平安時代にまで遡ります。

古語「身罷る」が正式な言葉として最初に登場したのは、歴史の教科書にも登場する『古今和歌集』です。

紀貫之ら、4名の撰者によって編纂された勅撰和歌集としても著名ですね。

現代語の「みまかる」と同様、古語としての「身罷る」も死去するという意味。詳しく述べると、「身罷る」とは元々「身」と「罷る」を組み合わせた熟語です。

「身」とは身体、すなわち肉体のことですね。「罷る」とは消えてなくなるという意味。もうおわかりでしょう、肉体が消滅し、この世からいなくなってしまうことを「身罷る」と表現するのです。

ちなみに平安期の時点で直接「死」と言わずに、「身罷る」という婉曲表現するという、さりげない気遣いの文化が形成されていたことが窺えます。

「みまかる」は日本語文化の美点を示す、価値ある言葉の1つといえるでしょう。

「みまかる」の使い方を例文付きで紹介!

「みまかる」の意味を把握できたので、次のステップとして使い方に踏み込んでみましょう。簡単な例文を2つ紹介します。

例文

「昨晩、父がみまかりました」
「この度はご愁傷様です」

「みまかる」は丁寧な表現であるものの、一般動詞であり敬語表現ではありません。

従って、身内に対して「みまかる」と表現しても問題ないのです。

例文

「田中さんのお父様が、昨晩みまかられました」
「そうか、田中君もさぞ傷心だろう…こんな時のために特別休暇がある。今は仕事のことは忘れるべきだ」

目上の相手に対して「みまかられる」という場合は、尊敬表現に当たります。

「みまかる」に、尊敬の補助動詞「れる」もしくは「られる」を付ける用法ですね。

ちなみに「みまかられる」という敬語表現については誤解や誤用の事例がしばしば見受けられるため、追って詳しく解説します。

「みまかる」の漢字表記は?

「みまかる」は一般動詞であり、補助動詞のように平仮名表記することが定められてはいません。すなわち平仮名表記、漢字表記のどちらも認められているということです。

「みまかる」を漢字で表す場合、果たしてどのような表記になるのでしょうか。

「身罷る」という書き方

「みまかる」を漢字表記すると、「身罷る」が当てはまります。

古語「身罷る」を解説した際に述べたように、「身」と「罷る」を組み合わせた熟語で成り立っているのは、現代語の「みまかる」「身罷る」も同じというわけですね。

「薨」という書き方も

「薨」と書いて「みまかる」という表現もあります。「薨」が一般にあまり浸透していないのは、主に皇族に対して使う言葉だからです。

皇族に対して使う語句といえば、「行幸」「崩御」などが知られていますよね。

「薨」も同様の扱いで、「薨」と一文字で表される場合もあれば、「薨去」「薨御」「崩薨」のように熟語として使われる場合もあります。

「身籠る」は誤り

「身罷る」と「身籠る」は、一見するとよく似ていますね。

誤認されることは少ないとはいえ、他人の書いた文章を流し読みするような場合には取り違えてしまう可能性が潜んでいます。

「身籠る」とは「みごもる」と読み、女性の妊娠や懐妊を示す表現です。

従って男性に使われることはありませんし、一般的には誕生につながるめでたいこと。

日常生活において「身籠る」は、死を予感させる文脈では使われにくいでしょう。

もし仮に「身罷る」を「身籠る」と誤読してしまっても、文章の前後関係を冷静に読み取れば自らの誤認に気づけるはずです。

「みまかる」の敬語表現は?

語感がきれいなこともあり、「みまかる」は敬語だと思われがちです。実際のところ、「みまかる」は一般動詞に分類されます。

「みまかる」を敬語で表すと、どのような言い方になるのでしょうか。敬語に限らず、目上の相手に対する表現として考えてみましょう。

「みまかられる」とはいわない方がよい?

「みまかる」の尊敬表現として、「みまかられる」という言い回しがあります。

「みまかられる」について、「二重敬語であり、不適切な表現なのではないか」という疑問を持つ人も多いようですね。

結論から述べると、「みまかられる」は敬語として問題のない表現です。というのも「みまかられる」の原型である「みまかる」は、一般動詞だから。

すなわち「みまかられる」が二重敬語だと考える人の多くは、「みまかる」という語句自体が敬語であるものと誤認しているのです。

いかに「みまかられる」が正しい敬語表現とはいえ、二重敬語の誤解を招くのであれば、別の言葉で言い換えるのも一つの手ですよね。次の項で「みまかられる」の言い換え表現を紹介します。

言い換え表現「お亡くなりになる」

尊敬の敬語表現「みまかられる」の代わりに使えるのが、「お亡くなりになる」という言い回し。

ニュースなどでも使われる比較的ポピュラーなフレーズなので、馴染みのある方も多いでしょう。

「お亡くなりになる」の原型は、人の死亡・死去を意味する一般動詞「亡くなる」です。同義の尊敬表現としては「亡くなられる」があります。

「みまかる」と「亡くなる」の違いとは?

「みまかる」と「亡くなる」は類語・同義語に分類され、ニュアンスそのものは同じです。

両者の違いを敢えて挙げるならば、相手に与える印象や響きでしょう。

「亡くなる」もこの世からいなくなる・去るという意味では「みまかる」とほとんど同じですが、見るからに「死」や「死亡」を想起させる言葉ですよね。

一方「みまかる」は「身体がこの世から消えてしまう」という意味の柔らかい言い回しで、直接死を表現してはいません。

聞く者に対する気遣いがより伝わりやすいのは、「みまかる」の方だと考えられます。

「お亡くなりになられる」は二重敬語

先の節では「亡くなる」の尊敬表現として、「お亡くなりになる」と「亡くなられる」の2つを紹介しました。

両者を混合させたような誤用例が、「お亡くなりになられる」というフレーズです。

「お亡くなりになられる」は典型的な二重敬語。どの点がNGかは言わずもがなですね。

動詞に対して尊敬の意を表す場合は「お亡くなりになる」とするべきですし、補助動詞で尊敬表現する場合は「亡くなられる」が正解です。

すなわち同一の対象に対し、動詞・補助動詞の双方で敬意を重複させてしまっている点が問題、ということですね。

「お亡くなりになられる」は、比較的多く見られる誤用例の1つ。誤りの理由についても的確に説明できるようにしておきましょう。

「みまかる」の類語を紹介!

「みまかる」のように死を直接表現せず、別の言葉で言い換えたフレーズはいくつかあります。代表例を4つ挙げましょう。

「息を引き取る」

「息を引き取る」とは息をしなくなる、すなわち呼吸が止まってしまうということです。

呼吸が止まってしまえば、死去するのと同じ。直接的に「死去する」というよりも、いくぶん婉曲的で優しい表現といえるでしょう。

「永眠する」

意識がなくなり、そのまま死去する様を「永眠する」と表現します。倒れた後、二度と起き上がることがないという意味であり、「永い眠りにつく」と同義です。

「逝去する」

あの世へ旅立つ、という意味で「逝去する」という表現もあります。「逝く」というだけでも通じますが、「逝去する」という方がより厳粛な言い回しです。

「他界する」

「この世を去り、あの世へ行く」という意味を一言で表すのが「他界する」というフレーズ。比較的シンプルな言い回しで、言い換え表現の中でも回りくどい感じが薄いのが特徴といえるでしょう。

まとめ

「みまかる」に込められた日本語の機微、文化的な背景をご理解いただけたのではないでしょうか。

物事は事実に即してストレートに表現すればよいというものではありません。特に近年ではネットを中心に、直接的で単純化されたコミュニケーション法が選択されがちです。

特に近年ではネットを中心に、直接的で単純化されたコミュニケーション法が選択されがちです。

相手を思いやったり、場面のドレスコードを尊重したりといった心遣いは、社会人として必要な精神性です。

「みまかる」をきっかけとして、日頃の言葉遣いに目を向けてみることも大事ですね。

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